the-film’s blog

映像関係の仕事をしています。そんな私が、勉強として始めました。よかったらみてください。

私の時の就職活動

2018年の6月に大学4年生の就職活動が解禁した。就活解禁になると各企業は学生との接触が許され次々に面接を開始する。しかし、それは表むきの公表で、優秀な学生にはそれ以前より電話や面談の場が用意され、内定と告げられている。

1つ目の長期インターン

私は就職活動で誰にも負けたくない、という強い思いが以前からあり大学3年生の頃からベンチャー企業に長期インターンで参加などをしていた。最初は自分の力をつけるために入ったと周りにも言っていたし、本当にそう思ってい。しかし、やり始めると「めんどくさい」「早く帰りたい」「俺は学生だし誰も期待していないだろう」という甘えが出てきた。よく考えてみると、ベンチャー企業で自分の力をつけたいというよりも、就活の面接で面接官に学生の頃に頑張ったこととして誇張できるステータスを探しに行っていたのかもしれない。半年間なんとなくやる気なくダラダラと週に二回ほど時給1000円で言われた雑用をこなしていたが、だんだんと一緒の時期に入った人たちが来なくなった。会社内では大騒ぎになるかと思いきやそれどころでない忙しい社員さんを見て、自分もいらないだろうと考え、私もその日出勤して7時間ほど働きはずだったが誰も見ていないすきにこっそり帰った。これが最後の出勤だ。

2個目の長期インターン

その帰り道、以前もこの会社に応募するために使ったインターン紹介サイトを見て新しい会社に2、3件応募した。こんなことでいいのかという迷いとコンプレックスはあったが行動しないと何も始まらない。行動してから後で考えようという気持ちでいた。そしてすぐ、2個目のインターンが決まった。自分の優秀な経歴がベンチャー企業でもすぐ認められ採用になったのだろうと思いたい反面、人手不足なんだろうなとは頭でわかっていた。

そこでは社長が一人でビジネスをしており、他に社員はいなかった。インターンの学生は三人ほどいて、みんな東大とか慶應とか優秀な人材だった。その時は自分も負けないぞなんていう志は全くなくて、就活で言えるような目に見えるスキルをつけたいなと考えていた。結論から言うと、ここのインターンも1ヶ月くらいでやめてしまった。理由は社長とうまく行かなかったからだ。その社長は結構嫌な人で、人格否定のメールや電話をしてくることもあった。そのせいか、入るインターンの生徒はみんなすぐやめていくし、続いているのは二人くらいだった。なので自分もそういった社長の言動が嫌になり、うまく利用されているのではないかと思いやめた。ちなみにここは給料は時給とかじゃなく、完全出来高制だった。なのでどんなに働いても結果が出ず社長に認められなかったら0円だった。それもありやめると自分に言い聞かせてやめた。やめる時社長からは「これから君はいろいろ大変やと思うけど頑張って」と嫌味っぽく言われた。その時は悔しいとかあんまり思えなかった。

就活

いろいろなインターンで得た武器を片手に就活に挑むと予想していたが、蓋を開けてみれば普通に3年間学生生活を送っただけ。特に誇れるような武器も経験もないまま面接へ。結果は散々で面接に進めない企業もいっぱいあった。ゼミやサークルの同期がびっくりするような企業に内定を決めていくことに悔しさもあった。就活のお祈りメールというのをもらうのが本当に嫌だった。次第に面接に行くのが怖くなり、1時面接も始まっていないのに自分から辞退したりした。結局内定が出たのは全く知見のない映像業界の制作会社だった。内定してからも企業からなんで君みたいな学歴の子が来たの?みたいな感じで聞かれるし、大学側からもなんでわざわざそんな専門的な所に行くの?と聞かれた。内定者懇親会でも内定者と話したがいまいちピンとこず、内定を辞退したいなと思うのが正直なところだった。しかし、留年するのは親に迷惑をかけるし、卒業して就職すると既卒扱いになり新卒採用の市場では大きく不利になる。そう思いずっと悩んでいた。そして留年をしたいなと思いながら卒業試験を受けた。

迷い

結果はギリギリ合格で卒業できた。あまり嬉しくなかった。そのまま内定をもらった企業に行こうか、それとももう一度就活をしようかと悩んだ。そのままの企業に行った場合、基本的にもう一生新卒で会社に入れなくなる。つまり今内定をもらっている映像業界という専門的な業界に身を投じると一生他の業界に行けなくなるということだ。もう一回就活をした場合、親に金銭的に迷惑をかけると同時に前年以上の結果を出さなければいけないという、運も非常に大きな作用となる日本の新卒採用市場において非常に不都合なプレッシャーを受けることになる。しばらく実家に帰った誰にも相談せず悩んだ。

気づいたこと

就活を通して、しばらくたって気づいたことがある。それは俺は逃げてるということだ。1つ目のインターンは就活のために始めたというつもりだった。しかし、それも続かず2個目にすぐ応募した。2個目の時も社長と仲良くできなかったという理由でやめたが、雇用を生み出す側と生み出される側には明らかな上下関係が存在する。雇われているのなら認められるまで頑張らないといけないし、コミュニケーションもうまくやらなければいけない。就活も自分の納得のいかない結果になるのが怖くて逃げていた。面接で落ちるのならともかく、落ちるが怖くて面接すらいかないというのは論外だ。結局内定をもらっている同期とかは勇気を出して挑戦しているわけだ。その勇気と努力が自分にはなかった。

決断

私は結局唯一内定をもらった映像制作会社で働くことにした。ただ働くからには決めたことがある。

  • 絶対に休まない
  • 同期で一番優秀だと言われる
  • 動画の知識やソフトを1年で全部使えるようになる
  • 予算書まで書けるようになる

これはこの1年で守ると決めた目標だ。

常に自分から逃げてきた私が、社会人になり置かれた状況で頑張るということをするという決意だ。 自分が置かれる環境を自分で選べる人間はごく少数だ。その環境に身を置ける才能や実力が自分にないならまずそれを認め、置かれた環境で精一杯する。そしてステップアップしていくということを決めた。